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​作家 村松友視さんより
寄稿文を頂きました

『時代屋の女房』など数々執筆され直木賞作家でもある「村松友視さん」が、市川燻製屋本舗に寄せる熱い思いをエッセイにして下さいました。

村松さん本当にありがとうございました。
 

2021.初夏

村松さん市川さん.jpg

「煙に巻いたり、巻かれたり」

村松友視

 

 私が最初に出会った印象的な燻製は、高度成長期の初期にあたる大学生時代に、一杯50円のハイボールを出すトリスバーで、柿のタネやピーナッツあるいは焙ったスルメとともに出されていた代表的なツマミであるイカクン、すなわちリング状のイカの燻製だった。


 学生でもカウンターに陣取ることのできたトリスバーに似合いのツマミとして、大量生産品らしい有難みのない安物のイカクンは、申し分ないつまみだった。

 
 学生時代の親友Aと割勘でハイボールを飲みつつ、一人前だけ注文したイカクンのリングに、お互いに牽制し合いながら交互に指をのばしてつまむのだが、たまに二つのイカクンのリングがかさなっていることに気づくことがあった。Aの目を盗んで、繋がったリングの片端をつまんだ指をそっと引きよせようとすると、先刻承知とばかりAの指先が絶妙の呼吸でイカクンの片端をおさえる。それに気づかぬふりをして、つまんだイカクンを強引に引きよせるが、Aの指は片端をおさえたまま。やがて二枚繋がっていたイカクンのリングが、チリチリチリとしずかに引き裂かれるように、哀しく双方に剥れてゆく。その虚々実々の駆け引きめいたトリスバーでのせめぎ合いの絵柄は、イカクンと一杯50円のハイボールが織り成す、切なくせこく贅沢な記憶なのである。
 
 トリスバーのイカクンのリングが、不意に記憶から立ち上がったのは、北海道岩見沢市在住の、縄文人のエネルギーを具現化して生きるがごときS夫人から、市川燻製屋本舗の市川茂樹さんが、かねてより目論んでいた縄文時代の製法に自らの手法を加えて、サケを丸ごと燻製にする計画にいよいよ着手しはじめたという情報をもたらされたせいかもしれなかった。

 
 S夫人の縄文式エネルギーから発するサービス精神と繊細な気遣いの吸引力にさそわれて、私はいっとき岩見沢へ通いつめた時期があった。そんな時の中で、S夫人から市川茂樹さんを紹介されたのだったが、燻製という世界の神秘性、面白さ、可能性などについて熱く語る市川さんのやさしい笑顔が私の目に焼きついた。その市川さんの表情に、私は何故とはなしに仙人のイメージをかさねたものだった。 
 仙人は、中国の神仙思想や道教が理想とする人間像であるらしく、人間界を離れて山中に住み、不老不死の術を修め、神通力を得た者、あるいは世俗的な常識にとらわれない、無欲で世間離れした人のたとえに用いられたりもする言葉である。そのような鹿爪らしい本道的筋道から、市川さんと仙人をむすびつけたのではもちろんなく、煙→ 霞→ 霞を食う仙人という単純な連想かもしれなかった。 

 燻製は、大雑把に言うならば、塩漬けした獣肉や魚肉を煙でいぶし、乾燥させた食品ということなのだが、市川さんの頭には、この世に存在するありとあらゆる物を自分流に煙製してみたいという欲求あるいはロマンが棲みついているような気がしたものだった。 そして、燻製というけしきの髄を顕微鏡で覗き込むような求心性と、天体望遠鏡で燻製という宇宙の肌合いを観測するかのごとき遠心性を、市川さんはともに持ち合わせている。そんな子供みたいな無邪気な自然体といった市川さんの感触が、世俗的でない、常識を超えた仙人のイメージにつながったような気がしないでもない。だが、燻製づくりにロマンの炎を燃やす市川さんからは、よく言われる縄文人の破格のエネルギーや激しさよりも、子供のもつ自由さ、誠実さ、素直さ、奔放で繊細な心根が伝わってくる。その印象から、縄文人のロマンの世界に遊ぶ仙人といった感触をおぼえさせられたという気もする。 

 

 そんなあれこれを思い巡らしているところへ、縄文人たるS夫人経由で、縄文式で丸ごと燻製された市川茂樹作たるサケの半身のお裾分けがとどいた。

 
 さらにその日、先代の頃から五十余年通っている四谷荒木町の小料理店の、緊急事態宣言下のため店を閉めているオヤジから、「あのさぁ、店で家呑みしようと思っているんだけど、つき合わない?」と、探りを入れるような電話があった。


 私は、“得たりやおう”はたまた“渡りに船”の気分でそのさそいに乗り、翌日の夕方に縄文式と市川茂樹流が合体したサケの燻製をたずさえて、四谷荒木町へそそくさと出かけて行った。
 店を休んで退屈している相手の人助けに行ってやろうという私の気分と、家で原稿ばかり書いてりゃあ頭が腐るから呼んでやろうというオヤジのお節介が、背中合わせに握手したのであった。 

 暖簾を内に入れ引き戸を閉めた小料理店の小上りに、すでに何がしかの酒のつまみが用意されていた。
 酒は店でそれしか出さぬ白鷹の冷だけ、料理は炭火で焙った牛肉や先代好みの山菜サラダの復元あるいは奥さんが揚げてくれたかきあげといったところだったが、オヤジは私が取り出した市川作品の燻製に目をかがやかせた。
 それぞれの部位に分けて切ったのをラップから取り出して頭から尾までを並べてみると、見事なサケの泳ぐ姿がよみがえるようだった。それぞれの部位が、オヤジの手さばきで大皿に見事にあしらわれた。こうやって、およそ緊急事態宣言下とは思えぬ、浮世ばなれの心もようのもとで、傘寿を過ぎても悠然たる仙人にはとうていなりきれぬ二人同士の「店での家呑み」の宴が、賑々しくも渋く幕を開けたのだった。 

 オヤジは、プロの料理人だけあって、市川作品たる燻製の価値を、ど真ん中で受け止めているけはいがあった。それぞれの部位のスライスを口にしたとたん、目が鋭く光り次に笑顔となって大きくうなずくことをくり返したあげく、

「まあ何だね、これまで口にしてきた燻製とは、あきらかに別物だね」、

 うれしそうに言ったオヤジのセリフで、岩見沢の市川流サケの燻製の醍醐味が、四谷荒木町の小料理屋のオヤジの心を衝ったことを、私は確信したのだった。 


 それにしても、市川さんの作品たるサケの燻製の逸品と、四谷荒木町のオヤジの奇天烈な発想による「店での家呑み」のジョイントが、コロナ禍の緊急事態宣言下の閉塞状況を煙に巻いて舌を出すような悪戯の贅沢を、仙人になり切れぬ二人の老人に与えてくれたのはたしかだった。そして私は、市川茂樹さんという人は、霞を食って生きる仙人というより、あらゆる物を煙に巻くロマンの持ち主であるのかもしれぬと、ふと思ったものであった。

村松氏.jfif

村松  友視 (ムラマツ トモミ)

1940年東京生まれ。慶応大学文学部卒。『時代屋の女房』で直木賞、『鎌倉のおばさん』で泉鏡花賞受賞。著書に『アブサン物語』『北の富士流』『アリと猪木のものがたり』『老人の極意』『老人のライセンス』等。

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